色彩を持たない男とオオカミ少年の巡礼 3

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「……では、私はそろそろ行くかな。会わなくてはならない奴がいてね……時間にひどく厳しい」
「ああ……わかった。ちょっと待ってろ。おい、エレン。起きろ」
頬のあたりを叩いて、エレン、と声を掛けて揺り起こす。少しむずがった様子を見せた後、エレンは鼻を鳴らしながら緑色の瞳をゆっくり開いた。
「エルヴィンを送ってくる。いいか、こいつは俺の友人だ。挨拶して、覚えろ。敵じゃない」
「…………」
「エレン」
「……こんにちは」
「グーテンターク、エレン。握手をしても?」
「…………」
一度エルヴィンの頭から爪先までをじっと見てから、エレンはおずおずと右手を差し出した。
……そういえば、こいつを他の人間に接触させるのは初めてだったか。今まで一体どんな生活をしていたのかは謎だが、普通のコミュニケーションは取れるのか。
静かにそれを見ていると、エルヴィンとエレンの手が合わさった時に、エルヴィンが僅かに眉を顰めたのがわかった。
見れば、エレンの髪の毛がざわっと逆立っている。
「……あんた、リヴァイさんに何かしたら殺してやるからな。噛み千切って、食い殺してやる」
「……私は彼の味方だよ。もちろん、君も」
「本当だろうな」
「ああ。本当だ。私が君の信頼を裏切るようなら、すぐにでも殺してくれて構わない」
「…………」
エレンの金色の目は戻らない。発光しそうなほどの眩しい瞳が、今にもエルヴィンに飛びかかろうとしているようにも見える。
「おい、エレン。やめろ」
近くからそう声を掛けても、エレンはこちらを向かず、エルヴィンを睨むことをやめない。ぎりぎりと締め付ける手の力も強くなっているようで、エルヴィンの片目が軽くしかめられる。
牙と、尻尾と、大きな耳が出てきた所で大きく息を吐いて、自分の右手を振り上げた。
「やめろっつってんだろ。バカが」
片手で尻尾を引っ張ってガツンと頭を上から殴ると、エレンは「キャンッ」と犬のような鳴き声を上げて、エルヴィンから手を引っ込めて尻尾を返した。
「おいエレン! エルヴィンに謝ってから部屋戻れ!」
「いや、いいよ。リヴァイ。今日は私もここで退散しよう。これ以上彼に嫌われたくない」
「……悪かったな。躾がなってなくて……あとで折檻しとく」
そう、舌打ちしてエレンが引っ込んだ部屋を睨むと、エルヴィンは苦笑して右手を挙げた。
「……いやしかし、驚いたよ。彼と握手をしたあの瞬間、瞳の色が金に変わった」
「……警戒するとああなる。俺には滅多に見せねえがな」
「今度、ハンジも連れてきて構わないかな」
「ああ、もう話はしてある……が、完全防備で来いって言っとけ。間違いなく腕の一本食いちぎられるぞ。あいつの触り方だと」
そう息を吐くと、エルヴィンは「違いない」と言ってもう一度笑った。



「おい。クソ犬」
「…………」
「なんで俺の言うことが聞けない」

エルヴィンを街の外まで送ってから部屋に戻ると、エレンは部屋の隅で尻尾を丸めて座っていた。子供みたいに、唇をへの字に曲げて。
「おい、聞いてんのか。いい子にできるって言ったのはお前だろ」
「……オレ、リヴァイさんに近づく人みんな嫌いです。なんで他の人に会ったりするんですか」
「……あのな……人間ってのは、一人じゃ生きていけねえんだよ。それに、エルヴィンはもうずっと昔から世話になってる友人だ。俺も数は少ねえが、そういう奴らは大事にしてんだ。俺の気分が悪くなるから、無碍に扱うな」
「…………」
「返事は。エレン」
「……わかりました。じゃあ、あの人には次から挨拶してやってもいいです」
「……だから、お前はなんでそんなに上からなんだ……!」
「い、いたい、いたいです、いたいです!」
ぎりぎりと両頬を掴んで捻りあげると、エレンはキュンキュンと鼻を鳴らして何度も泣いた。
……そういや、オオカミってのはもともと群れを持たずに一匹で行動する動物だったか。
どこまでが本能で、どこからが理性なのか。俺もこいつを飼うと決めたのなら、そこの線引きもしっかりしなくてはならない。一体自分にどこまで躾けることができるのか。
「……ったく、仕方ねえな……。まずは、挨拶の仕方から始めるか」
そう言ってエレンの隣に腰掛けて、エルヴィンを送るついでに買ってきた「ただしい犬の飼育方法」という本を袋の中から取り出した。



夜中に、いつもと違う気配で目が覚めた。
気配、というにはあまりにもはっきりしすぎている。耳元で、ハッ、ハッ、という息がうるさい。目を開けると、隣で眠っている筈のエレンが身体の上に圧し掛かっていた。
「……リヴァイさん……」
「……なんだ。飯か」
息遣いは更に荒く、激しいものになっていく。一体なんだ、と思って身体を起こそうとすると、バカみたいな力で硬いマットレスの上に押し戻された。
「リヴァイさん……」
「…………」
見れば、寝着の股間の部分が膨らんでいる。
……発情期か?
オスのイヌってのは、メスのフェロモンに誘導されて発情すると聞いたが……。
「……半分人間のオオカミ男なんて、規格外か」
「リヴァイさん、リヴァイさん……」
普段も体温の高い身体が、発熱しそうな程に熱くなっていた。首のあたりに押し付けられる唇から発せられる呼吸は荒く、だらだらと涎が流れている感触もする。
ぐいっと髪の毛を掴んで顔を覗き込むと、暗闇でもわかる金色の瞳が、俺を見据えて光っていた。
「……途中でオオカミになったりすんじゃねえぞ。獣姦なんてまっぴらだからな」
息を吐いて首のあたりに手を回すと、それが合図になったかのように、エレンが俺のシャツを引き千切った。
うなじのあたりに食いつかれて、歯を立てられる。噛みちぎられでもしそうな強さに、背中のあたりがぞくぞくした。
「痛って……! がっつくんじゃねえよ……っ」
「リヴァイさん、オレ、どうしたらいいですか。身体、熱くて、つ、つらくて……っ」
「獣の交尾の仕方なんて、俺だって知らねえよ……」
噛み殺されなきゃいいが、と思いながら、頭をの隅でそれでもいいかとも少し思う。
やり残したことも、このクソみたいな時代にも未練はない。
自分で命を絶つことはできないから、ただ生きているだけだ。
「お前の好きにしろ」
両手で頬を包みながら目を合わせると、エレンは俺の顔にぼたぼたと涎を落としながら、獣のように咆哮した。

それからは、もう散々だった。
体位は基本全部バックで、背中に何度も爪を立てられて噛みつかれて、終わった後はまるで何かに襲われた後みたいにずたぼろだった。

「血だらけじゃねえかよ、クソが……。おい、お前もそのまま寝るんじゃねえ。シーツ替えるぞ」
「ううん……リヴァイさん……」
「寝るなっつってんだよ!」
「ぎゃんっ!」
ガツンと頭を殴って、唇を尖らせるエレンに指示をしてシーツと毛布を替えさせる。もう俺は立ち上がるので精一杯だったので、汚れた身体は濡れたタオルで拭かせた。
再度二人でベッドに横になった時にはもう外は明るくなり始めていて、エレンはすぐにうとうとと瞼を落とした。
「……おい、エレン……聞きたかったことがあるんだが」
「……はい……なんでしょう……」
「こうも警戒心の強いお前が、何で俺にはすぐに懐いた? 飯くらい、自分の力で取れるだろう」
そう掠れた声で尋ねると、エレンはうっすらと緑色の瞳を開けて、ふにゃっと顔を崩した。
「……あなたは、オレのこの姿を見ても、化け物といわなかった。それだけです」
そうして、すぐに俺に身を寄せて寝息を立て始めた。
「…………」
ーー世界大戦中の、人体実験。
それは早くも歴史から黙殺されようとしている。否、国の汚点として、その存在すらを遠くに押し込めようとされている。
かつてこの国で独裁に走ってしまった、悲しき指導者の名と同じように。

「……なあ、エレン。お前もこの国が残した、負の遺産の一つなのか」
すうすうと身体を丸めて眠るその姿は、人間というよりもやはり獣に近かった。


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