泣き虫兵長とオレ物語 1

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「兵長、起きて下さい、兵長」
「……いやだ」
「へいちょう〜〜……っ」
「いーやーだっ……!」

人類最強、希望の光、世界の宝……兵士として最高の賛美の言葉を欲しいままにしていた男は、実は、メンタル面では人類最弱の男だった。
主に、巨人に対して。
「兵長っ、いいかげんにしないとオレ怒りますよ!」
「うるせえ! 嫌なもんは嫌だ!」
そう怒鳴って、兵長は真っ黒な目からボロボロと涙をこぼした。
――訓練兵時代にも、一人はいた。泣くと強くなる奴。強くなるっていうか、キレて誰も手が出せなくなる奴。
リヴァイ兵士長っていう人は、その最たる人だった。
「俺はもういやだ、巨人討伐なんてクソくらえだ。俺は畑を耕して芋を作る農夫になりたいんだ!」
「そ……っそんなこと言ったって、巨人を倒さなきゃ呑気に畑だって耕せないですよ……!」
「だったらてめえで巨人を倒せ……! 俺に永久の安寧を寄越せ」
「オレじゃできないからみんな兵長を頼ってるんじゃないですか。お願いだから、起きてくださいよ」
「いやだと言ったらいやだ!」
「ああもう、 起きてくださいったら」
さすが、人類最強の名前は伊達じゃない。この身体のどこにそんなに身が詰まってるんだ、と思う身体の重さと腕力では、オレ一人じゃ毛布一枚剥がせない。
布団に丸まった芋虫のおばけみたいになっている兵長の隣で、オレは静かに息を吐いた。



兵長のこの正体を知っているのは、オレだけだ。
きっかけは夜中に兵長の部屋を通りかかった時。部屋の中からぐすぐすと啜り泣く声が聞こえてきて、あまりの恐怖に立ち竦んだ。
(へっ……兵長の部屋の中から、悲しそうな啜り泣きが……!?)
絶対に幽霊だ、と思ってビクつきながらそうっと部屋を覗いてみたら、なんと兵長が泣いていた。
鼻の頭を真っ赤にして、ベッドの上で足を折りたたんで、小さな体を更に小さくさせて泣いていたのだ。
しかも、調査兵団の兵士の長として、あるまじき言葉を呟きながら。
「巨人怖ぇ……」
違う意味で、恐怖で立ち竦んだ。
あのリヴァイ兵長が。人類最強が。巨人が怖くて泣いてる? まじですか。
部屋の前で固まっているオレの気配に気付いたのか、兵長の瞳が突然こっちの方をぎらっと睨んだ。
いつもの兵長の目だ。ただし、目の下が真っ赤で、白目の毛細血管が切れそうなほどに充血してる。訂正、いつもの三倍くらい怖い。
一緒に、ずずっと鼻を啜る音も聞こえた。
「……誰だテメェ。出てこい」
「…………」
「二秒で出てこなければ、三秒後に肉塊する」
「……すいません、オレです……」
「…………ッ!!」
俺がしおしおと顔を見せると、兵長は明らかにビクッと身体を跳ねさせて、ベッドの端に飛び退った。それで、全身の毛を逆立てながら牙を剥いた。
その姿は、びびりながらも必死で威嚇する猫のようだった。いや、びびりすぎてどうしたらいいかわからなくて逆ギレする、困った幼児のようでもあった。
「き……来やがったな、巨人小僧。オレに仕返しか、う、う、う、受けて立ってやるぞ来いコラァ」
「あ……あの……手も足も身体も全部ブルブルしてますけど、大丈夫ですか……」
「ああっ? してねえよっ!」
「兵長」
「寄るな!」
ブルブルが限界を突破したのか、そのあとは歯ブラシを構えてオレにぐるぐる斬りかかってきた。……いや、歯ブラシだから斬りかかる、じゃないか。ぐるぐる回って飛んできた。
どうしたらいいのかわからず、そのまま二人で頭をぶつけた。もちろんオレは気絶した。



目を覚ましたのは、頬に生温かい水のようなものがぼたぼた落ちている感触に気付いた時だった。
な……なんだこれ? 慌てて目を開けると、超至近距離で、真上で兵長が泣いていた。顔に落ちてるこの水は、兵長の涙だった。
「ど……どうしたんですか」
「悪かった……こんな姿を見られて、頭が混乱しすぎた。頼むから巨人化しないでくれ」
「しませんよ……あの、どうして泣いてるんですか、兵長」
「…………」
「兵長。オレ、誰にも言いません」
「……本当か」
「はい」
身体を起こして、小さくなっている兵長の手に手を重ねる。兵長は少し視線を彷徨わせてから、薄い唇をきゅっと噛んだ。

兵長はその後に、ベッドの端で体育座りをしながら、泣きながら告白をしてくれた。
本当は巨人が怖いのだと。
本当に、本当に、滅茶苦茶に怖いんだと。
ただそれは、殺されるとかそういう恐怖じゃなく、単に生理的にでっかいものが怖いらしい。
「街を囲んでる壁とかもよ……ああいうの本当に怖ぇんだよ……他にもでかい城とか、塔とか。あとダムとか」
「はあ……」
「巨人とか、あいつらがウインクしただけで俺の身体飛ぶんだぞ、怖すぎるだろ……」
「……それは怖いですね……でも、でかいものが怖いっていうのは、なんとなくわかります」
「実はエルヴィンのでかさも怖い」
「あの高さでもう怖いんですか?」
背が低いからだろうか。子供が大きな大人が怖いように。思ったけれど、もちろん口には出さなかった。
話を要約すると、兵長の強さの秘密は逆ギレらしい。
怖さが臨界点を越えると、もうなりふり構わないトランス状態になるそうだ。火事場のくそ力みたいなものだと思う。昔、アルミンが大嫌いな虫を見つけた時に半狂乱になってそれを退治していたことを思い出す。
あんなことを毎回しているのなら、それは確かに辛いだろう。
「壁の外に出る前日とかは、正直もう本当に死んでしまいたい……」
「いやダメですよ、死んだらだめですよ……」
壁外調査前日はいてもたってもいられずに、一晩中筋トレやら走り込みをして気を紛らわし、朝は冷たい水を滝のように浴びて、もう恐怖とか色々何がなんだかわからなくさせないと、足が震えすぎて立つこともできなくなるそうだ。
人類最強だっていったって、普通の人間だもんな。誰だって巨人は怖い。
でも、きっとこの人は怖がっているレベルが違う。
「あの……オレで慣れることとかできませんか。オレも巨人です。オレも怖いですか」
「超怖え」
「怖いですか? この姿ですよ?」
「今とか軽く失禁してる」
「今ですかっ?」
なにやってるんですか、と服が入ってる引き出しをあけて、兵長のズボンを脱がせてあげた。その間も、兵長はずっとブルブルしてた。

オレが兵長の世話人として付けられたのは、その翌日からだ。
兵長も、他の人に見られるよりは、もう秘密を暴露してしまったオレの方が、そばに置くのに良かったんだろう。最初は部屋でオレを見る度に足をブルブルさせていた兵長も、数日たてば慣れてくれた。
普段はまさに「鬼軍曹」と呼ぶにふさわしい兵士長は、夜になると本当によく泣いてばかりいた。目付きの悪さの原因は、毎晩の泣き疲れによるものもあるのかもしれない。その度にオレは、ベッドの隣で手を握って擦っていた。



冒頭に戻る。
今日は、予定外の壁外調査出発の日だった。
急遽、早急に調べなければいけないことができたらしく、ベテランの精鋭達だけに収集がかかった。リーダーはもちろん兵長だ。昨日の昼まではエルヴィン団長に「任せろ」とクールに振舞っていたのに……(もちろん顔面は蒼白にして)今朝になったら、泣きながら、いやだいやだと言って毛布の中から出てこない。
「兵長……お願いですから、出てきてください。みんな兵長を待ってます。オレだって……お願いします」
「……いっ……い、いやだ……」
「兵長」
毛布の中から、ぐすぐすと鼻を鳴らす声がする。
こんな兵長だから、本当ならオレだってゆっくり隠居してもらって、畑でも耕して芋でも作ってもらいたい。麦わら帽子をかぶってにこにこしてる兵長なんて、オレだって見たい。
でも、今はこの人の代わりがいないんだ。
オレが代わりになってあげられたらどんなにいいか……。
はあ、と息を吐いてもう一度声をかけようとした時に、コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。
「リヴァイ兵士長。間もなくお時間となりますが、ご用意は宜しいでしょうか」
外からの声に、兵長の身体がぴくっと動いて、
もそもそと毛布の中から出てきた。ずっ、と鼻を啜ってから深呼吸して、オレの手を握って声を張る。
「……ああ。すぐに行く。全員装備を整えて待っていろ」
「承知しました」
そう言って、兵長はゆっくりとベッドを降りてパジャマを脱いだ。
人類最強で最弱の兵士長は、人類最強に意地っ張りで、そして人類が好きだった。
「……俺が出なきゃ、皆死んじまうだろうが……」
「はい」
「巨人は怖えが、部下が死ぬのはもっと怖え」
「はい」
ブルブル震える身体を立たせて、服を着せて、せっせと髪に櫛を入れる。
高速でガチガチする歯には、オレが作ったおしゃぶりを咥えさせて、その間に体重移動装置ベルトと立体起動装置をセットした。
不思議なもので、装備を整えて、スカーフを巻いたいつもの兵長の姿になると、身体の震えはぴたりと止まった。
この人にとって、この装備は文字通りに本当に鎧なんだろう。身体だけでなく、心の。人類最強という名前の、決して汚してはならない鎧。
「兵長、ご武運を!」
「おう」
「あっ、そっち壁です、危ないです」
「エレンよ」
「はい。……あっ、大丈夫ですか、鼻打ちましたね、大丈夫ですか」
「エレンよ……戻ってきたら、俺のことは名前で呼んでくれ」
「……はい!」
ぶつけて赤くなった鼻にキスをする。
そうして去って行く小さくも大きな背中に向かって、どうかみんな生きて帰ってきてくれますように、と、手に爪の跡が残るくらいに両手を握りしめてお祈りした。



壁外調査は、今回は一人の犠牲者も出さずに短期間で戻ってきた。聞けば、リヴァイ兵長の活躍がものすごかったらしい。
一人で巨人に向かって行くその姿は、まるで修羅のようだったと同行した人たちは言っていた。

「最後の方とか、本当にずっとクルクル回っていたのよ。クルクル回って飛んでたの」
「ああ、回転切りっていうか、小さな竜巻だったな」
「俺には鬼が曲芸やってるように見えたぜ」
「しかしまあ……」
「強かった」
洗濯物を取り込んでいたオレは、思わずそれをほっぽり出して、帰ってきた人たちの出迎えに走った。
怪我はないだろうか。
巨人と向き合って、パニックにはならかっただろうか。
「リヴァイ兵長!」
まだ人に囲まれている兵長の姿を見て、やばい、と思った。
いつもの冷静な姿に見えるけど、オレにはわかる。あの顔は、恐怖を通り越してどうにかなってしまった顔だ。顔が、子供の落書きみたいになってしまってる。
急いで人ごみを掻き分けて、兵長の側に近寄った。
「兵長、大丈夫ですか」
「…………」
ああ、だめだ。
よく見れば足が高速でブルブルしてる。高速すぎて真っ直ぐに立ってるようにしか見えないけど、ブルブルしすぎてブーツの踵で地面がえぐれてる。
オレの姿を見るなり、兵長は膝を折ってその場に崩れた。
「兵長っ」
まわりが、わっとざわめき立つ。
オレは兵長に触れようとする人たちの前に立って、両手を広げて「触らないでください」と低く唸った。
今、兵長は無意識のうちに泣いている。
他の仲間の人たちに、こんな姿は絶対に見せたくないだろう。
「オレが運びます」
そう言って、失礼します、と声をかけてから、兵長の身体を担ぎ上げた。
兵長の身体は見掛けの割にはものすごく重くて、正直担ぎ上げただけで身体が地面にめり込みそうだった。けれど、兵長はもっとしんどい思いをしたんだ。気合と根性を全開にして、何とか兵舎まで担いで歩いた。



部屋についてからなんとか兵長の身体をベッドに下ろして、ぜいぜいと呼吸を整えて、ぺちぺちと兵長の頬を軽く叩いた。
兵長は、今どこも見ていない。一筋涙の跡があるだけで、黒い瞳は遠くを見ている。
「リヴァイさん、オレです。エレンです。ここはリヴァイさんの部屋です。ここなら誰もいません」
両手で頬を撫でて、目を合わせて、半開きの唇にキスをした。
兵長の目に、徐々に光が戻ってくる。唇が小さく震えて、声なくオレの名前を呼ぶ。そうしてオレの顔を確認するなり、ぶわっと涙をあふれさせた。
「エレン」
「はい」
「エレン……」
「はい」
リヴァイさんは、子どものように、オレの身体にしがみついてしくしく泣いた。
オレはその頭と背中を撫でながら、「おかえりなさい」と何度も言った。
「か……囲まれたんだ。穴を掘って入ってそのまま死のうと思ったんだが、駄目だった。気付いたらぐるぐる回りながら奴らを全員殺してた」
「死んだらだめですよ。でも、すごいじゃないですか。えらかったですね」
「すげえ返り血も浴びるんだ。汚えし、もういやだ、もういやだ……」
「オレがいくらでも洗ってあげます」
「次に生まれ変わるなら、花になりたい。草とかがいい」
「そうしたらオレ、それ育ててあげますね……」
「頼む……」
ひと回り以上年の離れた、小さな上司の頭をゆっくり撫でる。
力のないオレには、この人に休んでいいですよ、とは言えない。言ってはいけない。甘えてくれるこの人を、甘やかす権利がオレにはない。
人類のために、オレたちの為に戦ってくれている強くて弱いこの人に、まだ戦ってくれと言わなければならないのは、心臓が抉られるくらいにつらくて、悔しい。
早く、強くならないと。
この人の役に立てるように、オレが一人でも巨人を駆逐できるようにならないと。
そうしたら、この人はきっと今より笑ってくれる。
「いつか、オレが人類最強の名前を襲名してあげます」
「お前にゃ無理だ……」
「なっ……なんでそういうこと言うんですか、かっこつけたのに……!」
ぐすぐす鼻を鳴らしてオレに寄りかかるリヴァイさんに、もう、と唇を尖らせて言ってから小さな体を抱きしめた。


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