高校生とエロ漫画家 1

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リヴァイさんのお仕事は、漫画家だ。
普通の漫画家じゃない。エッチな漫画を描いている。でも、それはただエッチなだけじゃなくて、とても感動的なものが多い。
ジャンル的には、「官能漫画」とかいう部類に入るらしくて、普通は話の内容なんてほとんどないものらしいのに、リヴァイさんの描くものは何か違う。中に出てくる人たちがいきいきしていて、感情移入ができてしてしまう。ほとんどが濡れ場の漫画なのに、初めて読んだ時には、感動して涙が出てしまった。
「エレンがエロ本読んで泣いてる」
そう、こっそり貸してくれた友達にも「うるせえ」と言って、それからはこそこそと遠くの本屋に行って少しずつ揃えていった。

そんなリヴァイさんの描くものは、オレ以外の人にも大人気だ。
だいたい大人のお姉さんがたが多いらしい。あんまり顔を出さない人なので、一体どんな人なのかわからなかったけど、ある日、小さな書店でサイン会を開くという情報を聞きつけた。
(リヴァイさんに会える。しかもサインまで)
聞いた時は、感動で全身がわなわなした。もちろん、この機会を逃がせる筈がない。学校なんてどうでもいい。さぼってやる。……いや、だめだ、この日テストだ。
テストが終わったら、自転車で走っていけば……大丈夫だ、間に合う。
そう思って、テストの勉強をしながらリヴァイさんのサイン会の日を指折り数えて待っていた。

当日。
ーーの、放課後。
学校指定の自転車置き場で、オレは頭に両手をつけて悲鳴をあげた。

「あーーーー!」

だ……誰だ、オレの自転車のサドル取っていったの……!
しかも前輪もパンクされてる。
人を殺しそうな目で周りを見て、サドルを持ってる奴はいないか確認する。いるわけない。携帯電話の時計を見て、きょろきょろと周りを見渡した。
誰か、誰かいないか。自転車貸してくれる奴。
その時、昇降口のほうから赤いマフラーを巻いた女子が走ってきた。

「ミカサッ!」
「エレン。一緒に帰ろう」
「今日はだめなんだ。それよりお前、今日自転車貸してくれねえか」
「私は自転車は使わない」
「そ……そうか……だよな……」

ミカサはオレが自転車を漕ぐスピードよりもずっと速く走る。朝一緒に学校に来るけど、最近はオレの方が追いつけなくて結構恥ずかしい。

「私がエレンをおんぶして走ってあげようか。きっとエレンが自転車で走るよりずっと速い」
「…………」
「はい」
「……いや、いや、変だ。変だって。ごめん、大丈夫だ」
「そう?」
「ありがとな」

しゃがんでおんぶの姿勢をするミカサに謝って、手を引いて立ち上がらせた。
かっこ悪すぎるし、恥ずかしすぎる。しかも理由がサイン会のためだなんて言えない。
オレが昔にやったマフラーに顔を埋めて首をかしげるミカサに、リコーダーと体操服の入ったバッグを渡した。

「これ、悪いけど持って帰ってくれねえか。ちょっと寄るところがあって」
「……わかった。ねえ、エレン。高校に行ったら一人暮らしするって本当?」
「え? ああ、つっても家の近くだけどな」
「私も遊びにいっていい?」
「おう、来いよ」

ミカサに手を振って別れてから、よし、と学校指定のカバンを後ろに背負って、スニーカーの紐を結び直す。
自転車がなければ、走るしかない。自転車でほんの三十分だ。同じスピードで走れば三十分でつく。それ以上の早さで走ればいい。十分間に合う。
五十メートル七秒三のオレならいける。大丈夫だ、絶対に、間に合わせる!
心の中でヨーイドンの合図をして、オレは隣町の本屋まで全力で走り出した。

自転車で三十分の距離は、短距離走と同じスピードで走ることはできなかった。
途中から猛烈に脇腹が痛くなって、足がこむら返りみたいに攣って、近くのガードレールに激突して倒れた。
そこからはフラフラしながら歩いたけど、途中で足がもつれてまた転んだりと、本屋についた時にはもう満身創痍だった。

「リ……リヴァイさんのサイン会は……」

よろよろと店員のお兄さんに聞いてみたら、お兄さんは「五分前に終わったよ」とにっこり笑った。
思わずその場に崩れ落ちた。
五分……!
あそこで、もう少し気合入れて走っていたら。
うずくまって嗚咽し出すオレに、お兄さんがオロオロと「まだ、本人はいるかもしれないよ」と店の奥を指差す。ぱっ、と起き上がってその指差す方を見た。

「サインはもらえないかもしれないけど」
「あ、ありがとうございますっ」

鞄を抱えて、お店の奥の特設コーナーまでまた走った。
どんな人なのか、一目だけでも見たい。
リヴァイ、という名前しか知らない憧れの人。一言だけでも、あなたの描くものが好きですと伝えたい。
お店の奥にはまだ「リヴァイ最新刊発売記念」という看板が出ていて、数人の男の人たちが撤収を始めていた。その中に、まわりから「リヴァイさん」と呼ばれている白いシャツを着た人がいた。
リヴァイさん。あの人なんだろうか。
男の人だ。女の人だと思ってたから、びっくりした。しかも思ってたよりも若かった。若かったっていうか、小さかった。
綺麗に刈り上げられた黒い髪に、同じ色の切れ長の瞳。少し不機嫌そうな顔で、周りの人に何かを頷いてる。何て声を掛けていいのか迷っているうちに、その集団が後ろを向いた。
思わず、叫んでいた。

「リヴァイさんっ!」

黒いスーツの集団が、一斉にこっちを振り返る。心の中で、うわあああ、と思いながら、固まった。何やってんだ。オレは。
白いシャツの男の人が、不審そうな顔をしながらこちらに来る。混乱した思考は更に舞い上がり、視界の中にその男の人しか見えなくなった。
リヴァイさんだ。この人がリヴァイさんだ。
男の人が、オレを見上げて低い声で言った。

「……何だ。何か用か」
「あのっ! リ、リヴァイさんですよね、あの、オレ、ずっとファンで! サッ、サッサイ、サイン貰おうと思って、今日っ……」
「……俺の描くものは全部十八歳未満は読めない筈だが」
「あ……っ! あっ、いや、あの」

やばい。そうだった。
いつもこそこそ買って、こそこそ読んでたんだった。しかもオレ制服じゃねえか。サインって言ったって、本も持ってきてねえし。
急に、汗をかいていたシャツが背中に貼りついていくような気がした。何て続けていいのかわからずに、中途半端に口を開けたままその場で固まる。リヴァイさんは小さく息を吐いてから、後ろのテーブルに置いてある本を一つ取って、さらさらと何かを書いてくれた。
ほらよ、と言ってオレの手を取って、それを乗せてくれる。

「十八を過ぎてから、堂々と読め」

そう言って、リヴァイさんは背中を向けてスーツの人たちの群れに戻っていった。
その背中がドアの内側に消えた時、オレはまたしてもその場に膝をついた。
リヴァイさんがくれたのは、今ここで書いてくれたサイン入りの最新刊だった。

(か……家宝にしよう)

リヴァイ。
ペンネームなのか、本名なのかはわからない。
とにかくそれ以来、オレは更にその人のファンになった。





一ヶ月後。
高校に進学すると同時に家を出たオレは、新しいマンションに引っ越していた。
マンションっていっても結構古くて狭いけど……でも、オレみたいな高校生が住むには贅沢だと思う。
まだ冷蔵庫もコンロもないから、飯は作れない。近くのコンビニで弁当とスポーツドリンクを買ってから、エレベーターに乗って四階まで上がった。
そういえば、隣の人ってどんな人なんだろう。引っ越しの挨拶まだできてないな……。
そう思いながらエレベーターの扉を開けて、自分の部屋に向かう通路を歩く。ジーンズに入れた鍵を取り出そうと扉の前で足を止めた時に、隣の部屋のドアが開いた。
あれ、と思って顔をあげる。それと同時に、持っていたビニール袋をその場に落とした。

「リッ……」
「……あ?」
「リ、リヴァイさんですか。あの、ま、漫画家の」

部屋から出てきたのは、一ヶ月前に「十八になってから堂々と読め」とサイン本をくれた、漫画家のリヴァイさんだった。
口をぱくぱくさせていると、リヴァイさんが不審そうに首をかしげたあとに、ああ、と言って少しだけ目を大きくした。

「……お前、もしかしてこの間のガキか」
「は、はいっ!」

覚えててくれた。
嬉しくて、思わず顔を近づけて自分の両手を握りしめた。

「あの、最新刊読みました。すごくよかったです。主人公の女の人が後を追おうとするところとか、ラストすごいオレ泣いちゃって……」
「……俺は十八歳になってから読めと言ったはずだが」
「……あっ」

しまった、とまたしても口を抑える。
じっとこっちを見る瞳と目を合わせていると、リヴァイさんは前に会った時みたいに小さく息を吐いた。

「思春期のガキにエロ本見るなっつっても無駄か……」
「す、すみません……でも、オレ、そういうシーンだけじゃなくて他の所もすごく好きで」
「……飯か? それ」
「え?」
「今から飯かって聞いてんだ」

オレのコンビニの袋から弁当が見えたんだろう。あ、はい、と持ち直して頷いた。

「一人だし、適当にすませようかと……」
「オレも今からだが、入るか」
「……えっ?」
「嫌ならいいが」
「嫌じゃないです! いいんですか?」
「良くなかったら言わねえだろ」

そう言って、リヴァイさんは開きっぱなしだった部屋の扉を開けてくれた。

「オレも適当に食いに行こうと思ってたんだがな……気が変わった」
「お、おじゃまします」

部屋の中は、びっくりするほどに綺麗だった。
モデルルームみたいだ。オレの所と間取りは同じなのに。無駄なものがなさそうで、物が綺麗に等間隔で整頓されてる。
「いつもこんなに綺麗にしてるんですか?」と尋ねたら、「普通だろ」と言ってオレにスリッパを出してくれた。

「手洗えよ。あと部屋に入る前にこれかけろ」
「あ、はい。 ……?」

なんだろう、これ。コロコロ?
言われた通りに、回転する粘着テープを洋服の上から転がして、部屋に入った。
漫画家の人の部屋って、もっと散らかってると思ってた。イメージだけど、本とかがいっぱいあって……。本どころか、白いテーブルの上には、埃の一つも乗ってない。
「座ってろ」と促されて、はい、と素直に椅子を借りた。
白いエプロンをかけてから、リヴァイさんがキッチンに立って何かを刻んで、炒め始める。いい匂いがする。
やっぱり自炊とかした方がいいよな……コンビニ弁当とか、飽きるし。今日買った弁当は、明日食べよう。
手際のいい手つき。普段からやってんだろうなあと、後ろ姿を見ながら思った。
カチンと火が消えて、綺麗に盛られた大皿とスープがテーブルに並ぶ。箸はコンビニで貰った割り箸を使おうとビニール袋から取り出していると、リヴァイさんはコーヒーの入ったマグカップをテーブルに置いた。

「いつ越してきたんだ」
「一昨日です。挨拶にきたんですけど、チャイム押しても出てこられなかったので……」
「ああ……取材行ってた時だな」
「取材ですか。なんかすごいですね」
「仕事だからな……別にすごかねえよ。食え。簡単なもんだが」
「あ、い、いただきます」

まさか、引っ越し先が、あのリヴァイさんの隣だったとは……しかも今、手料理なんて出してもらってるし。今のこの状態って、現実なんだろうか。夢かもしれない。それか、この後全部の運を使いはたして死んでしまうのかもしれない。
ドキドキしながら割り箸を割って、湯気の出ている料理に手を伸ばす。野菜の多い炒めものは、思っていたよりずっと美味しかった。
飲みこんでから、「おいしいです」と顔を上げると、リヴァイさんは片手でマグを持って、オレの顔を見ながらそれを飲んだ。

「……いつから読んでんだ? 俺の漫画」
「……う……」
「怒らねえから、言ってみろ」

口の中に入っているものを飲み込んで、ええと、と言って目を逸らす。さすがに中学の頃から、なんて言ったら怒られるだろうか。でもオレ、今年から高校に入ったばっかりだし。もう読んでることはバレてるし。箸を置いて、目を反らしたままで、あの、と口を開いた。

「……去年からです。友達が、お姉さんの部屋から持ってきたって言って、それが仲間内で流行っちゃって」
「最近の中学生ってのはマセてんな……俺の読者は俺と同年代くらいの女しかいないと思ってたんだが」
「その……エッチなシーンとかは正直よくわからない所も多いんですけど、でも、なんていうか……リヴァイさんの描くものはみんな好きです。色々伝わってくる気がして」
「…………」
「オレもいつか、ああいう恋愛とかしてみたいです」

顔をあげて、自分の頬を掻きながらそう伝える。
本人を目の前にして感想を言うのが何だか恥ずかしくて、また目を反らして取り分けてもらった料理を食べた。
リヴァイさんは、頬杖をつきながらコーヒーを飲んで、オレの顔をじっと見ながら言った。

「いねえのか」
「彼女ですか? いませんよ。もてませんし」
「ふうん」
「リヴァイさんは」

咀嚼をしながらリヴァイさんに目を合わせる。
リヴァイさんは、少しだけ黙ってからオレと目を反らして、テーブルの上にカップを置いた。

「別れたばっかだ」
「あ、そうなんですか」
「前の女房とな」
「……へえ」

結婚してたんだ。
リヴァイさんの左手の指には、そこだけ日に焼けていない指輪の跡があった。
それは、外してもまだ存在を示す、白い指輪のように見えた。


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