それは、雷に打たれたような衝撃だった。
栗色の髪と、黄金色の瞳と、成長途中の若い身体。着ているものは薄汚れていた上に肌も砂と埃と巨人の体液で汚れていて、ただの汚いガキだと思っていたはずなのに。
「とにかく、巨人をぶっ殺したいです」
あの時の言葉と、何かを射殺すような眼から、目を反らすことができなかった。
意思の強そうな金色の瞳がぎらぎらと光っていて、それが俺の捧げたはずの心臓に突き刺さった。
やっぱり、打たれた、という言葉が一番しっくりくる。
あの瞬間、俺は恋という雷に打たれたんだろう。
なるほど。こういうことか。これが恋か。
悪くない。
「おはよう、エレン……」
こいつを預かることになってから初めての朝、自分の最大級の笑顔でこいつ迎えた。
エレンは明らかにビクッとしてその場で飛び上がり、瞳をうるうるさせて俺を見た。
「お……おは、おはようございます、兵長」
「…………」
「あの……?」
「……てめえ、ずいぶん印象が変わるな。この間の威勢はどうした」
「……え?」
「……まあいい。訓練の準備はできてるか」
「は……はいっ」
胸に手を当てて、エレンが直立不動の姿勢を取る。
……くそったれ。ギャンかわだ。
この間見た狂犬みたいなこいつもいいが、尻尾を丸めて俺を見上げる(正確には見下ろしているが)こいつも悪くない。
おそらく、こういうことを「恋は盲目」というのだろう。
「制服は着こなせてんだろうな……。見てやるから、ちょっと手を下ろせ」
「は、はい! よろしくお願いしますっ」
丸い頭からつま先を全部見て、身嗜みのチェックをする。その間は、こいつの視線が身体に突き刺さって、ドキドキで卒倒しそうだった。
(……ん?)
インナーの服の胸元に、ほつれがあった。
ちょうど紐みたいな(いつも思うんだが、なんのためにあるんだ、これは)ものが出ている、穴の部分だ。おそらく何度か縫ったんだろう部分から、糸がヒョロリと出ていて、下の肌が見えている。
思わず、ぐわっと胸元を掴んだ。
「……てめえ、なんだこの服は。穴の所がほつれてんじゃねえか」
「はっ、はい! すみません!」
「チッ……そんなだらしない格好で訓練に参加する気か」
「すみません、すぐに直します……!」
頭少し高い位置にあるこいつの顔が、一気に真っ青になって泣き出しそうなものになる。その顔でさえもずぎゅんと心臓と腰にきて、思わずその場にうずくまりそうになった。
なんて可愛いんだ。このうっかりさんが。
こんな穴のほつれた服で訓練に参加したら、色んな奴らから交際を申し込まれちまうだろうが。
「俺が縫ってやる。脱げ」
「いっ……いや、あの、大丈夫です、自分で……」
「いいからさっさと脱げ!」
「はいぃっ!」
ガキが、いっちょまえに照れてやがって。
俺だって、こんな清い関係の状態で裸を見てしまうのは少し恥ずかしい。だが、こいつに任せたらどうせまた穴がほつれて肌が露出して、もっと恥ずかしいことになるに決まっている。
そんな姿を、他の奴らに見せるわけにはいかねえ。
「じゃあ、あの……失礼します」
「おう。…………」
エレンが体重移動装備ベルトをカチャカチャと外して、おずおずと胸をはだけさせる。
その姿を見て、思わずたじろいだ。
……おいおい。なんだ、その白い肌は。吸い付くような肌理は。これが十代か。やめろ。性的すぎる。
エロすぎんだろう。このエロビッチクソ巨人野郎。
「それ以上脱ぐんじゃねえ!」
「はっ! はいっ!」
「なんてだらしねえ脱ぎ方しやがる……人をなめてんのか? ああ?」
「す……すみません……そんなつもりじゃ……」
「脱がなくていい。そのままでいろ」
「あ……はい、すみません、すみません……」
これ以上、惑わされてたまるか……俺のウォール・リヴァイが崩壊したらどうしてくれる。
ピンク色のソーイングセットを取り出して、ぐいっとシャツをひっぱった。場所が俺よりも目線が高い位置にあるため、背伸びをすると足がぷるぷるする。攣りそうだ。
「……おい」
「は、はい」
「しゃがめ……縫えねえ」
「す……すみません……なんか、すみませんしか言えなくてすみません……」
背伸びをした状態から普通の状態に戻って、糸を通した針をシャツに刺す。その間、エレンは空気椅子にでも座っているような格好でぶるぶるしていた。
その時に、はっとした。
エレンの顔が、ものすごく近くにある。しかも呼吸も荒い。息は俺にかからないように殺しているものの、潤んだ金色の目は確実に俺の目元を見つめている。
(こ……こいつ、もしや俺にキスをしようと……!?)
思わず、くわっと目を開いて、思い切り反動をつけて頭突きした。
「痛い!」
「エレンよ……まだ早い」
「ひゃ……っひゃい」
「まずは順序を踏んでからだ」
鼻のあたりを抑えて座り込んだエレンの腹のあたりに足を乗せて、年上の威厳を見せつけるように見下ろした。
(危ねえ危ねえ……さすがまだ十五のガキだ。情緒ってもんがわかってねえ)
まずは告白、そのあとに交換日記、そうして何度かデートを重ねて、お互いのことをよく知ってからのA(※キス)だろうが……いきなりホップステップしやがるとか、油断も隙もありゃしねえ。
「お前は何でも生き急ぎすぎる……」
「ど……同期には死に急ぎすぎてると言われました……」
「いいか。物事には段階というものがある。それを飛ばして事を成そうと思っても、いい結果は得られない」
「……オ……オレには、まだその資格もないってことですか……?」
「急ぐなと言っているだけだ」
何せ三十年以上生きてきたこの俺の、生まれて初めての恋だ。出来れば大切に育んでいきたい。
静かにそう伝えれば、エレンは顔を青くしたまま、一度自分の唇をかんだ。
「で……でもオレ、早くしないと……回り道なんてしたくないです。一日でも早く、兵長と肩を並べられるようになりたいんです」
「…………っ?」
「お役に立ちたいです……じゃないと、何のためにここに来たのか」
目がキラキラしている。
俺の初恋の役に立ちたいだと……。
あまりのまぶしさに、目の前がくらくらした。
十代のいじらしい気持ちをこうもまっすぐにぶつけられて、ここで引いてしまって果たしていいのか。少しくらいは、俺も歩み寄りの姿勢を見せるべきではないのか……。
「……わかった……お前がそこまでと言うのならば、俺もやぶさかではない」
「は……はい……」
「立て。いいか。今回だけ特別だ」
腹から足を退けて、じり、と後ろに後退する。その間に、エレンは不安と期待の入り混じったような表情をしながら、唇を噛んで俺の方を見ていた。
「いくぞ……目をつぶって、歯ァ食いしばれ」
「う……、は、はいっ、お願いします!」
ドキドキで壊れそうだ。
まさか、こんな積極的なことを自分からするようになるとは……!
少し助走をつけてから、ダンッ、と床を踏み込んで、そうして、自分のデコをこいつの唇めがけて思い切りぶつけた。
ガンッ! という音と共に、エレンが後ろにひっくり返る。俺は顔から湯気が出そうな状態で、とても顔なんてあげられなかった。
人生で初めての、デコちゅーだ。まさかこんなガキにくれてやるとはな……。
ふう、と額をさすってから床を見る。
「……おい、エレン。どうした」
側で、エレンが口から……というか、唇から血を流して失神していた。
ちっ、と煙の出ていそうな自分の額に触れて、目をしかめる。
興奮しすぎだろうが。バカが。自分から誘っておきながら、なんて野郎だ。
ーーしかし悪くない。これがキスか……悪くない。
(……俺の処女が奪われるのも、そう遠くねえかもな……覚悟しておこう)
ドキドキしながらエレンの足をひっつかんで、そのままズルズルと引きずった。